「馬刺しにして最初に食べたのは誰なんだろう?馬肉が桜肉と呼ばれる理由って?」
ここでは、馬刺しを含む馬肉の文化や由来などについて解説していきます。
また、馬肉はなぜ桜肉と呼ばれているのでしょうか?
馬刺し文化はいつからか?歴史を学ぼう
馬肉(馬刺し)はいつから食べられるようになり、どのように馬肉文化が定着したのか?
これは地域によって多少異なってきています。
・熊本
国内における馬肉生産量で圧倒的1位の馬肉王国の熊本。
「熊本と言えば馬刺し」というぐらい、圧倒的に馬刺し文化が根付いているがきっかけはなんだろうか?
通説では、肥後熊本初代藩主の加藤清正が400年前に人々に馬肉を食べるように広めたと言われている。
当時は食糧難であったことと、馬肉には解熱作用があると言われたり治療薬としての活躍が期待されていたということだった。
・会津
馬肉生産量が全国2位なのが福島県の会津である。
熊本が霜降りを食べる文化なのに対して、会津は赤身の文化と言われている。
会津における馬刺し文化の始まりはプロレスラーの力道山という説がある。
力道山が馬肉を生で食べ始めたことがきっかけで広まったとのこと。
・長野
馬肉生産量は熊本や会津ほど多くはないが、行商人である「ばくろう」の存在が長野に馬刺しを広めていった。
長野では元々、年老いた農耕馬を食べ始めたことで馬肉を食すようになったという。
しかし、地元の農耕馬だけでは馬肉の需要を賄えなくなったことから他の地域から「ばくろう」が馬を買ってくるようになったとのこと。
長野では馬肉のすきやきが広まったとされている。
・山梨
山梨の馬肉生産量は全国6位。
かつて地理的条件から富士山の信仰登山が盛んで、登山者の荷揚げ用に馬が数多く飼われていたという。
そうした背景から馬肉も安く手に入り、食する習慣ができたとも言われている。
・青森
青森は馬肉生産量が3位。
馬の生産地として盛んなのは、かつて戦時中に軍馬補充部があったという歴史的背景に由来するとも言われている。
青森では濃い目の味付けで食べる馬肉鍋が知られている。
・東京
東京でも明治時代から「桜なべ」の名店があり歴史は長い。
当時は牛肉とうなぎは庶民にはとても手が出ないものとなっており、その代わりに馬肉が旨くて値段も手ごろでスタミナがつくとして重宝されてきたという。
馬肉が桜肉と呼ばれるようになったのはなぜ?
なぜ馬肉が桜肉と呼ばれるようになったのか?
実はこれには確かな理由は明らかになっていません。
しかし、桜肉と呼ばれるようになったと言われている6つの説があります。
馬肉のロマンとして、どれを信じるのも自由です・・。
① 隠語説
肉を食べることを公にできなかった時代に「馬」を「桜」に置き換えて呼んでいたという説。
② 桜の季節がおいしい説
馬がエサをたくさん食べて冬を越し、脂がのっている桜の季節の馬肉はおいしいというのがこの説の理由。
③ 桜色説
鍋で煮込んだ馬肉が「桜色」になるという理由。
④ 佐倉(千葉県)説
佐倉の地には幕府の牧場があったことから話題になることが多かったという説。
⑤ 高村光太郎説
詩人の高村光太郎の作品が、桜肉の由来になっているという説。
⑥ 牛肉の「サクラ」説
文明開化の時代に牛鍋が人気だった時、馬肉を牛肉と偽った店があったことから生まれた説。
馬肉を牛肉の「サクラ」に使われたことから桜肉と呼ばれるようになったという。
まとめ
桜肉の呼び名の由来や馬肉の文化の発端は伝聞が多いので、歴史的に真実ではない可能性もあります。
しかしながら、馬肉が昔から各地で親しまれていたことは間違いないでしょう。
文化を知ると、馬肉のことがもっと知りたくなりますよね。